【 マーケティング実践報告 】 

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help リーダーに追加 RSS 『 記念すべき、50回 』その1 Vol.50【私見マーケティング実践報告】

<<   作成日時 : 2008/12/08 22:51   >>

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『 記念すべき、50回 』その1

=<<私 見 マーケティング実践報告 >>=Vol.50

‐‐‐皆々様‐‐‐
■□ タイム・ラグの高橋です。 □■

 一年半、続けさせていただきました。そしてこの度、メデタク50回を迎えました。
良くもマア〜〜〜!迷惑メールに何十件入っているかは預かり知らぬところなれど、お陰様で約150人程の方々に配信させていただけるようになりました。
 ずうずうしくも、各界著名な方々にまで2週間に一度お付き合い頂け、文句叱責を頂くことも無く、タマ〜〜にチョコットお世辞でお褒め頂け、調子に乗りやすいタイプなのでマダマダ続けられそうです。

 今回は、マーケティングから少し外れて、また昔の思い出話でも・・・。
学生の頃の思い出は、なぜか美しく・・・・。
(前回、『10回続いた記念に』=Vol.10、
http://73133094.at.webry.info/200707/article_10.html
が、ちょっと評判がよかったので、頭に乗って、調子こいて・・・。)


4年生の夏、ゼミの合宿、長野県は菅平高原学部の寮、
(スキーやラグビーの合宿地として有名で、軽井沢の上の方で嬬恋の山の陰)
夏休みで帰省していた私は最後の合宿に、大宮経由も飽きてしまい(新幹線はまだ無く特急も急行も各駅停車にも。)
 何か面白い方法は、金は無いけど時間はたっぷり有るわけですから。
地図とポケット時刻表を眺めてみると、黒と白の繰り生す模様がクネクネ・ガックンカックン曲がりながらも福島駅から長野県上田駅まで続いていました。
〜〜〜〜〜〜福島まではバス。
福島〜〜〜〜郡山(東北本線)〜〜〜〜会津若松(磐越西線)〜〜〜〜小出(只見線)〜〜〜〜越後川口(上越線)〜〜〜〜長野(飯山線)〜〜〜〜上田(しなの鉄道)
〜〜〜〜〜〜菅平(バス)

現況、マーケティングプロデュースに方向性を見出し、生業として心に定めるまで“時は金なり”との金言にアクセクし仕事と日常の繰り返しの中に忘れていた別の意味での“時間の価値”を今頃になって懐かしく思い出せるようになりました。

先日、所用が有って郡山まで各駅停車にて・・・・。
今までの人生からすれば、金言とスピードの持論からなら新幹線で15分。
それが何故か各駅停車を選ぶ。(マア金銭的な事情も加味いたしてはおりますが。)

 あの時以来の、『東北本線(福島==>郡山)?』
忘れていました。
福島==>金谷川==>松川==>==>==>日和田==>郡山。
車窓の景色も車内のざわめきも。
何故かとても懐かしく、身体を包む暖められたぬくめの空気がゆったりと揺らぎながら流れています。
いつもは車で通っている道際を今日は旅人の気持ちで・・・・。今回は初冬色の中(あの時は萌え盛る緑の里山を縫って)安積野の地へ。
三十年前もこんなだったか『東北本線』。
Xマスも近づいた12月の街へ向かう道行きの歌は、“山下達郎”の「クリスマス・イブ」ではなくて、
http://jp.youtube.com/watch?v=7GhatWOC6Uc&feature=related
♪♪ 安奈 クリスマス・キャンドルの灯はゆれているかい、
安奈 おまえの愛の灯はまだ燃えているかい・・・・・ ♪♪
との“甲斐バンド!!”

【ちょっと横道、Ming=マーケティング】
金谷川で福大の学生が降り始めました。
福大と医大が山の上に移ったのも、あの頃の駅前再開発で中合・山田が駅の真ん前にそびえ立ったのも。
街の衰退は、すべてがあの頃に始まりました。
行政も住人も企業もすべての人々が、街は永遠に拡大し続けることを前提に計画され、旧き物は破壊され東京コピーが造り続けられ、学生と文化と住人は山の上に移り(南の蓬莱や松川まで、他の東西北も同様)膨張する事が当然であり、また人工的にできるとの過信の下に。
時間軸・距離軸・情報質量という三次元軸のすべてが、都会という名の東京から都会が流入し、都会に染まり、都会に変われるという夢(妄想)を抱いてしまった結果が「東京文化・経済」が「福島文化・経済」を稀釈し、逆に吸引され収束・収斂により東京だけが肥え拡大(内実はともかく)。
時代の流れの中で“地方と云う泡沫(うたかた)の残滓は”澱みの仲に入り込んだまま腐臭を発生する源と成り果ててしまっています。文化人類学的思考の無さがマクロ経済の方向性を誤り、ミクロ経済の行き詰まりを招いてしまったような気がしてなりません。

福大が医大が街中に有り、チンチン電車がまだ走り回り、中合の屋上にロケットが残っていて、音頭がサンバになって何がナンだか別けの分からない祭りになるより、小さな草鞋でも編んで冬の信夫山に心静かにお参りする祭り文化が続いていたなら・・・。

☆ 思い出に戻ります。
会津若松までの『磐越西線』、商都郡山を避けるかのように安積開拓の歴史を留める長閑な田園風景の中を各駅停車は西へ西へ・・・。
「磐梯熱海」を過ぎると少し苦しそうに中山峠を這い上がっていきます。
大きな溜め息にも似た汽笛と共に「上戸」で【猪苗代湖】と【磐梯山】に出会います。さざ波の照り返しと吹き降ろしの涼風の合間を縫って「猪苗代」〜「翁島」が左窓・右窓に付き合ってくれます。
道は整備され、高速は開通するもあまり目立った変貌のないこの沿線。少しのホテルと磐梯山を削り取ったスキー場はあるものの、まだまだ【磐梯山】は大丈夫、中途半端なリゾート開発の挫折により虫食いだらけながらもその存在感はド〜〜ン、【猪苗代湖】はバ〜〜ン。と、在りました。

「翁島」にて【猪苗代湖】に別れを告げて「磐梯町」。磐梯山の裾野を走り終えると一気に“会津盆地”へ駆け下ります。
福島県といえば“会津”、廃藩置県の折県庁が会津で県名も会津だったら・・・・。と、生粋の福島人(本当は伊達ですが)の私でさえも思うほど、歴史的にも知名度も文化もプライドも福島県随一の街“会津(若松)”が広がっています。

確かに会津若松も東京文化が流入してきています。
福島==>郡山==>会津若松と仕事上何十回と通う道すがら、車で通る沿線沿いは全国チェーンの店舗ばかりが立ち並び日本中どこに行っても見受けられる景観。観光客の心を惹き付ける魅力ある地域特性満載のお店が立ち並ぶわけでも無く、特急を止めれる程の工場があるわけでも無く(日立及び隣の常陸多賀には特急が止まります。福島と南福島に特急を止めるようなもんです『日立製作所』の力は)、でも、福島・郡山と違って会津若松は沿線を外れると、まだまだ歴史のかけらが残っています。住む人々に残そうと言う意識が残っています。
そして、コモディティ化された街より個性を持った独自の文化が経済の活性化に繋がる事を知っている方々がまだ居られるのです。

【ちょっと横道、Ming】
 これが『ブランディング』の基本です。
明確な基本コンセプトの下に、プランニング・マーチャンダイジング・プロモーション・・・・デザイン・知財などのマーケティング手法を織り成し醸し出すことが新しい産業の創造に繋がっていきます。
 会津はまだまだ武器を持った街、もっともっと外へ打って出てPRいや昔風に“アッピ〜〜ル”せなきゃあなんねぇのです。会津は殿さんとお城を守って賊軍にされたように、【会津に観光に来てくなんしょ。】なんぞと言ってても、高度成長まっしぐらの時代に作られたコンクリートのお城にリピーターが来てくれる筈も無く、ましてや“土井晩翠”が荒城の月のイメージを浮かべる訳も無く(私だって岡山・姫路へさあどうぞ・・・と言いたくなります。)それより、京都守護職会津藩で新撰組と一緒に京都の街を権高に闊歩していたときの方が・・・。
 昔のご先祖様は素敵でしたよ、会津の皆さん。
誰が作った、鉄筋コンクリートの鶴ヶ城&観音様、敵対視されていても“薩長土肥”にきっちり認識されていた“会津魂”、“悪名も無名に勝る”これ程の『ブランディング』は無い訳で、悪名も時代の移り変わりの中で“白虎隊”のように悲劇のヒーローが浮き上がることによりイメージは変わります。
 それに比べ、東京からの佐川急便での福島着便、「福井」へ「福岡」へ「広島」はたまた「徳島」へ、この存在感の無さたるや、何時になるやら『ふくしまブランド』。

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